慧日寺について

慧日寺は、今から1200年以上も前の平安時代初めに、法相宗の僧「徳一」によって開かれました。以来、平安時代を通して会津仏教文化の中心寺院として栄華(えいが)を極め、一説には寺の僧三百、僧兵数千、子院(しいん)三千八百坊を数えるほどの隆盛を誇ったと言われています。しかし、平安末期には源平の争乱に巻き込まれ、一時寺は疲弊(ひへい)します。
その後中世に入ると、伽藍の改変と共に、門前には寺と関わるさまざまな階層の人々が集い、一大宗教都市ともいうべき様相を呈しました。しかしながら、室町時代、応永(おうえい)年間の大火や、戦国期、伊達政宗の会津侵攻などによって、寺は度重なる被害を被り、そのつど伽藍は焼け落ちたと言われます。現在に残る本堂や山門、仁王門などはすべて江戸時代に再建されたものです。
明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に伴って、慧日寺は一時廃寺(はいじ)となりますが、寺跡は、昭和45年に国の史跡として指定されました。
現在、町が進めている史跡整備事業の中で、平成20年には金堂が復元されました。